射水市海老江は、江戸中期から明治にかけて沿岸漁業の町
曳山祭は五穀豊穣と大漁を祈願する
東町、中町、西町の三基の曳山は海老江の市街地を、各町揃いの法被姿の若衆によって「弥栄(いやさか)」が訛った「エンヤサーエンヤサー」「イヤサーイヤサー」「ヨイヤサーヨイヤサー」と威勢のいい掛け声のもと勇壮に曳き回され、昼は花山、夜には提灯山となる
私は海老江に住んだことがある
西町の曳山巡行
海老江曳山の特徴は、「からくり人形」
東町が「唐子遊び」、中町が「唐子懸垂廻転」、西町が「唐猿童子」
なかでも、「唐猿童子」は昭和54年に新調したもので、日本一の人形師、7代目玉屋庄兵衛の傑作
海老江には勇壮な曳山木遣りがある。これは、もともと漁業の網起し木遣り唄であり、弁財船の帆柱起し木遣り唄であった。しかし、明治初期より西洋式帆船や蒸気船、発動機船などの発達、機械化などによって帆船の姿が消え、それとともに帆柱起し木遣り唄や網起し木遣り唄も唄われなくなった。海老江では、明治末期の木遣り唄が曳山木遣りとして受け継がれている。
海老江曳山('15 10/17 up)
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