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海王丸乗揚げ事故

                                船員教育のヒヤリハット!

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まえがき
 平成16年10月20日22時47分,練習帆船海王丸(総トン数2,556トン,全長110.09メートル,ディーゼル機関2,206キロワット,以下,海王丸という。)は,写真1に示すように,富山県伏木富山港の錨地で錨泊中,台風トカゲ(以下,台風23号という。)による強風と波浪により走錨(錨が海底からはずれて動いてしまうこと)し圧流され,富山東防波堤灯台から075度400メートルの,防波堤基部の消波ブロックに乗り揚げた。
 深い船体損傷を負ったが幸いにも,人身傷害に関しては浅かった。まかり間違って転覆していたら,結果としての損失が,ほぼ同じ場所で起きた,写真2に示す,タンカー乗揚げ事故(平成元年3月,低気圧の通過によって,走錨・乗揚げ・転覆し,乗組員10人のうち3人死亡)や,洞爺丸遭難事故(昭和29年9月,台風によって,函館港外で走錨・乗揚げ・転覆,乗組員乗客あわせて1139人が死亡または行方不明)にも準ずる事故になっていた可能性がある。
この意味で,この事故は重大なインシデント(未然事故)とも考えられ,安全体制の見直しのためにも意義深い。
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         写真1 乗揚げた内航タンカー と 乗揚げた海王丸(朝日新聞提供)   
 
 この事故について種々の見方があるが,その多くは過失論や海王丸への励ましである。
 旧海王丸は昭和5から平成元年に亘る59年間,海の若人11425名を育成した,我々海洋会員のマザーシップであった。平成元年に新しい海王丸にこの任務は継承された。新しい海王丸は,まさかと思うような,ショッキングな事故を起こした。
 この重大未然事故が風化してしまわぬ内に,同種海難の再発防止のために,安全運航を教える同僚として,航海訓練所がこの事故を重大なインシデントとしてとらえ,事故の直接原因および,背景原因を消去する安全体制をスマートに再構築し,実行することを強く期待するという心意気が筆者の本報告の動機である。


事故の経過


 横浜地方海難審判庁による海難審判裁決(平成18年1月20日)から抜粋引用すればつぎのとおりとなる。

平成16年10月2日14時:海王丸は,63人が乗り組み,実習生85人を乗せ,訓練航海の目的で,京浜港を発し,千葉県館山湾における登しょう訓練等を経て,14日に室蘭港に入港,海洋研修生等計20人を乗せ18日14時00分に同港を発航し,途中,帆走訓練を行いながら伏木富山港に向かった。19日夕方,海王丸船長(以下,船長)は,テレビ,インターネット等により気象情報の収集に努め, 台風23号の中心が20日夜から21日早朝にかけて富山県に最も接近し,その影響を受けること,20日夕方から北東風が海上で非常に強くなり,25m/sの風が吹く可能性があること,海上の波は20日に4m,21日に5mに達する可能性があるとの富山地方気象台発表の台風情報をインターネットにより入手していた。

20日07時15分:海王丸は,伏木富山港港域の北東端付近の富山東防波堤灯台から038°,1580mの地点に達したとき,水深17m,底質砂を確認後,右舷錨7節を投じて錨泊し,FAXにより航海訓練所運航部に投錨時刻,同地点等を報告した。

同日09時50分:富山地方気象台から富山県東部に対し強風波浪注意報が発表された。10時半頃,船長は,伏木富山水先区水先人会所属の水先人から「台風23号が接近する状況下,その錨地では危険だから七尾湾に避難するように」との伝言を代理店を通じて受けた。

同日13時30分過ぎ:錨地でも風向が北東に変わり,急速に増勢していった。14時30分に船長は,すでに風向が北東に変わり,風速も平均15~20m/sに達しており,当初の自らの予想と大きく異なる気象状況となったことを知った。

同日17時頃:船長は機関用意とし,17時30分船橋に赴き,18時,一等航海士を船首に赴かせて錨鎖の状態を報告させるなどした。19時頃,錨鎖の緊張緩和のため,機関の使用を開始した。

同日19時40分:海王丸は,南南西方向に約0.3ノットの対地速力で走錨を開始し,19時52分に船長は当直航海士から船位が100m南にずれているとの報告を受けて初めて走錨状態にあることを知り,錨を揚げて沖合に避難することとした。

同日20時頃:左舷錨鎖から揚錨を開始したが,20時10分に最初の1節目の錨鎖を巻き終えたとき,揚錨機が過負荷運転となって錨鎖の巻き揚げができなくなったため,錨鎖を現状のままとし,機関を使用しながら風浪を凌ぐこととした。

同日21時頃:波浪は高さ6メートルに達し,海王丸は,船首が060°を中心に左右各20°ばかり振れ回るようになり,船体が激しく動揺を繰り返す中,機関を全速力前進にかけても大きな波浪を船体に受けるたびに徐々に外防波堤に向け圧流されるようになった。

同日22時30分:推進器翼の海底への接触により機関が自停するとともに,機関室船底に生じた破口から浸水が始まった。

同日22時47分:東防波堤灯台から075°400mの地点において,外防波堤基部の消波ブロックに286°を向首して乗り揚げた。当時,天候は雨で風力12の北風が吹き,北北東方からの高さ約6mの波浪があった。この結果,海王丸は,船底外板に多数の凹損及び破口を生じて浸水し,上甲板まで海水に浸かって着底した。船長は,乗組員,実習生,海洋研修生の全員にライフジャケッを着けて第1教室に集合するよう船内放送し,VHFにより新潟海上保安部に事態を報告のうえ,救助を要請した。

事故の原因

 図1に示すとおり,「大型で強い台風23号により,まれに見る北よりの暴風が伏木富山港近辺に長時間に吹いたこと,また,この暴風が富山湾の海底地形の影響から大きな波浪を発生させたと思えること(予想を超えた風と波)」,「航海訓練所が富山湾及び錨地の水路事情等についての情報を収集しておらず,地方の詳細な水路事情を各練習船に提供していなかったこと,海王丸の台風避泊方法を確認せず,同船に適切な助言を与えなかったこと等安全運航支援が不備であったこと(安全運航支援不十分)」,「海王丸が「富山検疫錨地に錨泊したまま,富山湾付近を通過する台風をやり過ごすことは不適当」という,多くの船員の常識を知らなかった,または知っていても,避難する意志決定が出来なかった(気づかず/知識欠如)」という三つの原因が重なって起きた。
 これらのうちの一つが無ければこの事故は,起きなかった。これらについて簡単に述べる。
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                       図1 事故の原因

台風23号による予想を超えた風と波
 台風23号による気象海象については,気象学や海洋物理学の見地からは,より理論的な見方ができるであろうし,またこれにより明確な知見も期待する所である。地元の海技関係者として言えることは,この台風では富山ではまれに見られる北よりの暴風が伏木富山港近辺に長時間に吹いたといえる。また,この風が,この沿岸部の海底地形の影響から,まれに見る大きな波浪を発生させたと思える。
具体的には次のとおりである。なお,この防止対策は,台風予測の充実でしかない。


 最大瞬間風速は,事故当時の20日19時13分,富山地方気象台で40.6m/s,富山商船高専臨海実習場で42.1m/sであり,海王丸の記録では20日の21時頃に船の測器で60m/sを観測したという。北東方向からのこの風速は,富山を襲来した過去の台風データ一覧(富山地方気象台HP)では,1940年(昭和15年)観測開始以来のものであった。最大瞬間風速が35m/sを越えるものは非常に稀であり,その風向は西~南西となっている。


 富山湾においては北方から風浪やうねりが侵入する際には,常に多かれ少なかれ沿岸部で波高が増大する「寄り回り波」的な現象が発生する。伏木富山港湾事務所富山区と伏木区の沖の海底に波浪計によれば,波向は常に北~北東で,ピーク時には6mを越える有義波高があり,実際には,10mを超える波高が存在していた。

航海訓練所の海王丸への安全運航支援不十分
 IMO(国際海事機関)は,従来から設備・構造(ハード要件)の基準を作ってきたが,     
最近になって,海難の原因は概ね8割が「人的要因」であることが分かり,海難防止のためには,船舶の安全運航を確保する人的体制を構築することが重要とした。
従来,「一旦,港を離れると何が起きるか分からない」という伝統的な考え方から船長個人が安全の全てを管理していたが,ISMコード(国際安全管理コード1993年11月,IMO総会において採択)は,管理責任を会社においた。このことは,革命的な変化であった。民間では,外航船社はもとより,多くの内航船社もこれを率先して実施しているが,航海訓練所の練習船は,公用に供する船舶として安全管理手引書の備え置き義務を免除されていたため,自主的に安全管理システムの導入・運用を開始していた。
しかし,教育途上にある素人同然の実習生が多数乗船しているにもかかわらず,安全運航支援の実施が不十分であった。このため,海王丸から台風第23号の影響で着岸を見合わせて錨泊した旨の報告があったとき,地域の水路事情を入手しておれば,台風の動きを検討し,海王丸が極めて危険な状態にあることが分かる状況であった。それも分からず,全てを船長に任せたままであった。
 航海訓練所では,事故後,直ちに海王丸事故原因究明・再発防止委員会を発足させ,次に示す安全対策を打ち出した。これらの実行が「海王丸が不適切な避泊場所ということを気つかなかった,または,知らなかったこと」を含めての安全対策となる。
 ① 不安全行動の防止と安全風土の確立
 ② 乗組チームの機能強化
 ③ 陸上からの支援体制の強化
 ④ 台風対策指針(仮称)の速やかな作成
 ⑤ 緊急事態を想定した演習の充実・強化
 また,この安全対策に基づいて,事故後直ちに,次のことが実行された。
・2005年9月26日 安全宣言
 各練習船の幹部職員一同が集合したうえ,理事長から安全風土確立に向けた安全宣言,10月20日を「海王丸台風海難事故の日」とし,毎年同日,緊急対応訓練等を集中的に行うこととした。
・2005年10月20日 緊急対応訓練
 台風対策指針を作成,各船に配布,同日を含む週間に,陸上と船隊が一体となって緊急対応訓練を実施することとした。
・2005年12月1日 ISMコード認証  
 理事会に直結した「安全推進室」を設置,ISMコードに基づく認証を平成18年度中に取得する手続きを開始した。
・2006年4月1日 避泊地情報DB 
 避泊地情報を取りまとめたデータベースを構築し,その活用を開始予定。事後情報を追加しつつ充実を図る。

海王丸が不適切な避泊場所ということを気づかなかった,知らなかったこと

  伏木水先人会越前精一会長は、「富山湾における特性を重視すれば,台風23号によって富山湾は一番条件の悪い北東の風が吹くことが事前に予測されていた。一般船舶よりも強い風圧を受けるであろう帆船の海王丸が時間的に余裕がありながら,どうして,安全な海域に避難せずに錨泊で台風をやり過ごそうとしたのか分かりません」,日本船長協会市川博康常務理事は、「台風23号接近による富山湾の風向は北~北北東で,湾内に向かって吹く風であることは容易に予測できたと思います。しかも,勢力の強い台風が接近してくる状況下で,陸上からの距離が1マイルに満たない海域に錨泊するのはちょっと考えられません。中略 今回の場合は陸から沖に向かって吹く風ではなく逆の場合ですから」と言っている。
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        図2 富山湾の海底地形(財)日本水路協会

 富山湾は,図2に示すとおり、能登半島に遮蔽されて北西の季節風を防ぐことが出来るが,北東方向からの風に対しては,全く無防備であり,湾の水深が深く,陸岸にきわめて近い場所で,陸岸を風下にして錨泊することになるので,昔から台風や発達した低気圧を避泊する場所として不適当とされている。
 筆者は,この見解を客観的にするため,日本海海難防止協会の調査研究委員会において,委員長として、日本海中部海域における錨地の避泊地としての実務者の評価(平成10年,平成14年)と錨かきの実船実験(平成9年)を実施した。
 航海訓練所は,地方の航海情報収集に不十分であったため,これらの調査結果を知らなかった。調査結果の一部について述べる。

錨かき

 新潟,富山3箇所,七尾の錨地について実船実験を相対評価すると,この付近で良いとされる伏木の8割弱の把駐力を観測し,観測した5つの地点の中で第3位であり,とくに悪いというものではなかった。

錨地の避泊地としての実務者の評価
調査票に回答した船舶
 623隻(内,外国船214隻)で,その総トン数はその殆どが6000トン以下で,そのうち,1000~6000トンが半数(54%)を占めた。

伏木富山港の錨地に対する船長達の認識
 伏木富山港の錨地の認識については,「常に不安(7%)」,「季節により不安(59%)」,「出来るだけ錨泊を避ける(14%)」,併せて80%が,「錨地として適当でない」という評価をした。

不安の内容
 「季節による不安」,「常に不安」と回答した船舶にその不安を聞いたところ,「地理的条件から風浪を遮蔽できない」,「波浪の影響が大きい」,「天候の急変に遭遇することがある」が56%を占めた。
「出来るだけ錨泊を避ける」と回答した船舶の対処方法
 前もって着岸時間を確認のうえ,時間調整をして入港着岸するということであった。

水路誌の記載
 船員が最も頼りにしている海上保安庁水路部編集の本州北西岸水路誌では,2ページ半の紙面を割いて,富山湾に関する航海・停泊の指導案内が記載されている。そして,富山湾に関する紙面の約半分を用いて寄り回り波の危険性について記述しているが,これに関する避泊情報はない。
 寄り回り波は,注意しなければならない富山湾固有の波である。同時に「急深な地形になっており,錨地が狭い」,「北西の季節風は能登半島に遮られるが,北東からの波浪に対しては危険であり,乗揚げ事故等が発生している」という避泊情報を,水路誌に明記しておくべきである。そのことが安全対策の一つとなり得る。

海王丸は七尾湾に避難すればよかったのか    

  山元パイロットは,朝の港作業を終え09時頃に事務所に帰ってほどなく海王丸が富山湾に入り,富山区の沖合に投錨したことを知る。台風の影響がまだ生じていなかったが,その進路から富山地方は相当の大荒れになることが予想されていた。現在の投錨海域が強風に耐えるのに不向きであることを熟知していたので「海王丸に伝えなければ」と09時半頃に代理店に電話して「七尾湾への避難か安全な海域に回避するよう,船長に勧めてほしい」と要請した。
  10時半頃に海王丸に伝達されたが,何の対応もとらず,海王丸は動かなかった。
 錨かきの実験では,投錨し,錨鎖を伸ばし錨がかいた状態で,後進エンジンをかけて錨を走錨するまで引っ張り,その張力を比較検討するものであった。七尾港では,富山区の4割程度の錨鎖張力しか観測できず,きわめて悪い結果が出た。すなわち,錨の爪がかき込みにくい,錨が埋没しにくい状態であった。
 七尾港の錨地は北東からの風,うねりは,能登島により遮られる。事件当日の午後では,風が強くなり,しかも,入り口が狭いので馴れていない人には入りにくい。これらを考え合わせると,七尾港に午前中シフトすることが出来れば,錨かきが悪くて走錨したとしても,適切に機関を使用すれば今回の事故は起きなかったであろう。

海王丸はどうすればよかったのか

佐渡島の島影に避難
 前述の調査票調査において,伏木富山港に停泊する船の意図する避泊地は,佐渡島周辺46%であった。飯田湾は一部の狭い海域を除いて,北東からの風,うねりには弱いので,台風23号の場合は,佐渡島周辺しか良い避泊地はない。従って,富山区に来る前に,安全第一とし,佐渡島の島影に避難して台風の通過を待つのがベストだった。そのとき,3隻の大型フェリーは佐渡の島影に避難していた。

七尾港で避泊
 富山区に錨泊した後を考えると,風や,うねりが大きくなるのを予測し,そこにとどまらず,午前中に七尾に向かえばよかった。

港内のうねりの影響の出来るだけ少ない岸壁
 富山区にアンカーし,時間が経過してしまった場合を考えると,午前中,港内のうねりの影響の出来るだけ少ない岸壁にシフトすればよかった。現に,伏木富山港,新潟港では,錨泊船はなく,新湊区,新潟港の岸壁係留船に大きな被害は無かった。

ちちゅう(船首を風浪に立て操舵力を保持する最小の速力をもって前進する荒天時の操船方法の一種)
 岸壁にシフトすることが出来なければ,早めにアンカーを揚げ,湾口に向けて沖に出て,ちちゅう(船首を風浪に立て操舵力を保持する最小の速力をもって前進する荒天時の操船方法の一種)すればよかった。

あとがき

 この事故を一種の未然事故ととらえ,この種の事故を繰り返してはならない。
現在,この事件に関わる航海訓練所の原因に対しては着々と対策が進んでいる。今後は,日本海側特有の比較的悪い避泊条件に関して,港内避泊,行政指導,水路誌の改善等が関係官庁によってなされる必要があると考える。
船の運航は,常に自然に曝されて行われる高度な技術である。自然に如何に対応するかで正否が明確に分かれる。自然の力は人間に対して巨大である。台風による気象海象について,気象学や海洋物理学の見地から,局地的な風や波の予測技術が更に進展することを望み,船舶の安全航行を祈念する。
by yyama0525 | 2008-05-21 23:22 | 海王丸乗揚げ事故