大自然と人間-海が好きだ-:母なる海が人間を育む
2009-07-20T08:23:38+09:00
yyama0525
Capt.Yamaです。このサイトは「海(自然)と人間」をテーマとしています。皆さんから写真(海,花,祭り等)をよく見て頂いています。
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母なる海が人間を育む
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2008-05-23T16:35:00+09:00
2009-07-20T08:23:38+09:00
2007-03-01T16:35:24+09:00
yyama0525
母なる海が人間を育む
はじめに
母なる海については,海と地球と人間の記事で既に述べた。 私は,船乗りから社会人生をスタートし,この貴重で大切にしなければならない海に関わった仕事を一貫してやってきた。「母なる海」という大きな命題の中で,考え,実践してきたことのうち,本論では海が持つ人間への教育性についてテーマを絞りこみ,私の些細な実践例を簡単に紹介することにします。
海が人間に与える教育性
今の日本の子供は家庭学習時間最短,テレビを見る時間は最長,学習意欲は低水準とIEA(国際教育到達度評価学会)が評価した。文部科学省は,公教育の見直しを日本の将来のために見直した。その要点は,基礎学力と躾である。
私は,人間と人間の関係,人間と自然の関係の学習が希薄になった結果だと思う。希薄な人間関係に対する教育にはまず,家族が家族を愛し,間違いは間違いと教える血の通った家庭環境が必要だと思う。
家庭では厳しさとともに,許してくれるという血の通った愛が本来存在するはずである。この家庭を単位として人間社会が存在する。子供は,孤独が怖いので携帯電話で他人とつながり,家族とはつながっていない状況で,狭い価値観や自己中心的な考え方で,いじめ,犯罪,自殺等をしているのではないかと思う。
いじめを受けた子供が成長して親になり,子供をいじめたり,反社会的な事件を起こしているという。大人の世界でもいじめは存在する。子供を心底,愛せない親がいる血の通っていない家庭が増えている。この悪循環がこのまま進行することを恐ろしく思う。
家族や人間社会の周りに自然が存在する。希薄な人間と自然の関係の学習が必要であると思い,「人間は,自然の中で生かされている,生命の星,地球環境との共生」を教える教育が高等教育機関においても私は,必要だと考えている。この教育の場として私は海を選んだ。
私は,大学を卒業し新米船乗りの頃,乗り組んでいた大きな外国航路の貨物船がアメリカからの帰り途にアリューシャン沖で冬の大嵐に出会い遭難した経験を持っている。
そのとき,私は,人間レベルの小賢しい価値観や考えを遥かに超越したある偉大なものを海に感じたことを忘れてはいない。
海は,通常はやさしく多くの恵みを人間に与えてくれるが,ときには人間が想像できないほど厳しくて怖い存在にもなる。平たく言うと「善悪基準が極めて明確で,ごまかしの効かない,大変厳しく,大変やさしい母」と対話をするということに似ている。自ら経験して得たこの考えが,私が海を思うきっかけであった。
洋上実習
毎年7月下旬か9月に,3年生,または4年生,40名ないし80を対象に洋上実習を行った。学生は朝,作業服に着替え,若潮丸という練習船で沖に出る。
服の上からライフジャケット(救命胴衣)をつけさせ,約3メートル下の海に足から飛び込む。目の高さを考えれば,海面上4メートル以上になるから少し高く感じる。泳げるようにさせ,その上で参加させている。
日頃,生意気なことを言っていても,足がブルブル震えている学生もいる。
飛び込むと,いったん海にゆっくり沈み込み,そして浮上する。そこから約150メートル離れたライフラフト(救命筏)まで,泳いでいく。ライフジャケットを身につけているので,それが外れない限りおぼれる心配はないが,着衣水泳となりたいへん疲れる。
目に見えない潮に大きく流されてなかなかライフラフトにたどり着けない。ライフラフトに到着すると,簡易はしごを昇って筏内に入る。
少し休んだ後,またグループで泳いで若潮丸まで戻ってきて,約5メートルの縄ばしごをよじ昇る。そのときまで浮いていて水から出ると自分の体重をズッシリと感じる。
このとき既に体力をかなり消耗しているので,援助なしでは昇れない学生も出てくる。
これを約10人1グループにして,グループごとに15分くらいの間隔で出発させます。一つのグループが飛び込んで船に帰ってくるまで40~50分はかかる。
教員は不測の事態に備えて,学生の状況を把握する。
私は,この訓練を始めた頃は学生と一緒に飛び込んで泳いでいたが,それでは全体を見ることができないので,若潮丸の上にいて全体を見渡して種々の指示していた。
ほとんどの学生は自力で戻ってくることができる。私の経験では,約25年間で数名の救助をしたくらいである。殆どの学生にとって,ライフジャケットをつけて船の上から飛び込んで泳いで戻ってくるという経験は初めてである。
最後は疲労困憊状態になる学生が多いが,遭難時という設定がもたらす緊張感もあって,学生たちは大きな達成感と喜びを感じてくれる。
午後のプログラムでは,遭難時に用いるロケット信号の発射を実際に行う。300メートルの上空に昇るものもあり,強力なものだからふざけてやっていると危険を伴う。
ロケットを手に持って発射するので,持つ手が熱くなり発射後,手の毛が燃えてなくなっているのに気づくということもある。救命索発射器などはとても大きな音が出る。学生たちは,実際の使用方法を学びながら,教員や先輩の話はきちんと聞いておかないといけないとか,特別な時にしか使わないものであっても日頃から管理しておくことが大切であるなどの感想を持つ。
午後のプログラムが終わると感想文を書かせるが,学生の感想は,「泳げたが流されて体力の限界だった」「自然は偉大でこんなにも人間は小さな存在だったのか」「足が震えた」「自信が芽生えた」「はじめてクラスがひとつになれた」「他ではできない貴重な体験だ」「これを教訓にして生きていく」「座学ではえられない現実感がえられた」等々であった。
彼らは、謙遜・遵法精神・協調性・自己責任観念等を学んでくれているようである。 私は,この実習の目的を,救命講習の内容の一部を一まとめにしてプールではなく,実際の洋上で実施し内容の充実を図り船舶安全学の一部を体得すること,「人間集団のあり方」,「人間の大自然への対応」について体験学習する」と公言して25年間実施した。空調の教室内で口頭で説明するより,はるかに効果があったと思う。私が定年退職した後もこの実習は続いている。
地方マスコミは,毎年取材をしてくれた。
例えば,船乗りへの儀式」という見出しで,高所恐怖症なので不安だった。デッキに立つと足がガクガク震えた,無理だと思っていることが出来た達成感が忘れられない等,自然の力の大きさや仲間と一緒にいる心強さを指摘する学生の感想を記事にした。
私が「海は人間と自然,人間集団の正常な関係を教えてくれる。サバイバル実習は,まさに海で行う人間教育であり成長のための儀式だ」と意義を強調したと書いてくれている。
これと似たことを海洋生物学者のジャック・T・モイヤー氏も行っている。そして,「自分よりはるかに大きなものの存在を肌で感じ,自分の小ささを認識し人をいじめようなどという小さくうす汚い気持ちは生じません。人間と自然とのつながり,人間と他の生物とのつながり,人間と人間とのつながりを大切にする理由が分かる。」と言っている。
海洋性スポーツの素晴らしさ
このような実践的な洋上実習は,大きな教育的効果があるが,年に何回も行えるものではない。
そこで類似の教育的効果を持つものとして,私は海洋性スポーツの素晴らしさに注目している。私は,漕艇部顧問として,海洋教育の視点から指導をしてきた。
カッターレースでは,クルーの息が合ってこそカッターは海上を滑るように進み結果も出て,達成感をえることができる。
海洋では「運命共同体」という意識が共有される。海という教材を使えば,みんなで動かなければ何も解決しないということを的確に教えることができる。「ボーッとしようがわめこうが,船は動かない。みんなで漕がなきゃ戻って来られない」,「団結は力」ということを部員達は自ら気づくことになる。
練習船の下船式では,長い間共同生活した仲間との感動の涙の別れが見られたが、兄弟姉妹という意識ができていると思われた。
ジャック・T・モイヤー氏も「海洋では運命共同体という意識が共有され,海洋スクールの別れの感涙は20歳代以上から50歳台,60歳代にも見られる。」と言っている。
ヨットの場合で特に強く感じるのであるが,大自然に抱かれ,音もなく風の力だけで,操るヨットの性能を最大限に発揮させて大海原をかけ抜ける。
そのとき人間は日常では出来ない,いわば,自然と一体になる」というように感じる。海では自然と対話しながら,人間のあるべき姿,人間と自然の関係,環境の大切さを学ぶことができる。
海とは一つの「場所」ではなく,「相手」であると感じるようにもなり,海に親しみを感じ大切にしようという思いが強くなる。例えば,子供が母親の表情を読むように海がこれからどのように変化しようとしているのかを察知し,それを信じて自分の身を投げ出して海に精一杯,対応する。
「海に挑戦する」というような言葉があるが,大変思い上がった考えで,とんでもない考えであると思う。
精一杯対応することが大切である。そうしないと大変なことになる。一変して海は怖い存在となることもある。突風,巨大な白い波,白いうねり,十米先が見えない濃霧等々,人間の無力さと人間など遙かに及ばない大自然のものすごさを感じざるをえず,畏敬や謙遜という意識が自ずと芽生える。
練習時はコーチがそばでつきっきり,レース時は選手だけで,初めてのレース参加の折り,子供は不安の中で自分を信じ,海とセイルを見据えて一人で沖に出て行く。
自然の変化を判断しながらレースが終わるまでセーリングに集中しなければならない。この目に見えない力は,普段の生活に根気強さや,勉強の集中力として現れる。
このように,海が人間にもたらす教育性には,自然と人間,人間と人間の正常な関係,常に危険と隣り合わせという緊張感,天候の正確な認識,変化の予測,迅速な判断によって,巨大エネルギーに対する否応なしの柔軟な対応の他,行動力,集中力,協調性,謙遜・遵法精神,自己責任観念等があると思われる。
海での体験学習が日本で欧米並みに普及しないわけ
アメリカ,カナダにはシーグラントと呼ばれる海洋に関する基礎研究や,小中学生の実験・野外教育,その他の海に関連する活動を支援する基金(シーグランド)が設けられている。
日本では,日本財団が海に関する行事,事業の援助を行ってはいるものの,国のシステムとしては何もない。
日本の海洋教育意識を考えると,親や学校は海を恐れ,子供の教育により生じるリスクを恐れている。風や体力を総合的に考え,精一杯のところを見極め,実施する勇気と自信が大切でこれは他のスポーツと変わりはないと思う。
何もしないで寝て居れば確かに「安全」ですが,「安全第一」とは,限界を見極めたうえ,一歩安全サイドで実行することである。
四面海に囲まれながらこの観点からの海への関心が比較的少ないのを残念に思う。
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