「安全第一」は事故が起きてはじめて本音になる?! 通常は,企業は「利益第一」が本音だ。私は,「安全第一」は建前にすぎない状況をずっと見聞きしてきた。しかし,一旦大事故が起こると,「大切なものは何だったか」を人間は再確認し,「安全第一」がしばらくの間本音となる。そして,それを忘れかけた頃,再び大事故が起こる。悲しいかな,この繰り返しが続いている。 はじめに 20世紀,国際的に「船の安全」を考えさせる引き金となったのは,タイタニック号の遭難である。英国の豪華新造船タイタニック号(ギリシャ神話の不屈の巨神の意の名前,4万6千トン,主機5万5千馬力,最高出力23ノット)は,処女航海で英国からニュヨークに向かった。途中,たびたびの氷山情報があったが船長には届かず,「厳重な見張り」とだけ夜間命令簿に記載されただけで,22.5ノットの全速航行が継続した。そして,1912年(明治45年)4月14日23時45分,大西洋のニューファウンドランドのはるか沖合で,氷山に衝突して約2時間40分後に沈没した。全乗船者2208名のうち,1503名の死者が出た。 この大事故は,数多くの教訓を残し,沈没後17年してSOLAS条約(海上における人命安全のための国際条約)として活かされることになった。世紀の海難審判の最終部分では,「船長は,氷山海域においてもっと南方に針路を変え,夜間は実質的に速力を落とすべきであった。 しかし,彼らのとった航法は,過去4分の1世紀の間,多くの船長達が,経験によって無事故で通ってきた航法そのままである。しかし,船長はミスを犯した。実に悲しむべきミスを。だが,それが海上の一般的な経験と慣習からきたものである以上,ミスは確かにミスであるが,これを過失としてとがめるわけにはいかない。もし,将来,タイタニック号と同じことが起こったとしたら,そのときは疑いもなく,過失として責められるべきである。」と結んでいる。この事故が起きてからまもなく100年が経過しようとしている。 筆者は長い間,船舶安全にかかわる仕事をしてきた。船舶安全と陸上の安全とは,環境が異なるだけで,事故の主役がいつも人間,または人間組織であることがほとんどであることから,殆ど同じである。「ひょっとして,みなさんのお役にたてば・・」と思いつつ,安全に関する基礎的で簡単な内容をお伝えし,最新の事故防止には,ヒヤリハット調査が有用であることをお知らせする次第です。 安全とは 漢字の語源による安全の意味は,「安:家の中にいる女→安らかにして静か」,「全:入と王の合字で王の本字は玉→手中に蔵する珠玉で完全無欠な状態」,すなわち,安全とは安静にして危なくない状態が完全な状態にまで達しており,再び欠けることのないさまを表していると言われている。しかし,この状態は残念ながらこの世にはあり得ない。なぜなら,安全には人間と機械そして環境が関わり,とくに人間がつぎつぎに生み出す危険要因を0%にすることは困難であるからである。従って,出来るだけの努力をして限りなく近づくものが安全という状態といわざるを得ない。 1906年,米のU.S.Steelのゲリ-社長は従業員一同の前で,「従業員の生命自体を犠牲にすることが必要な生産ならばむしろ,これを抹消し去ることが至当である。」と発言した。安全第一の本来の意味は「人間の命が第一」という意味である。この理念が「安全第一」として日本に輸入され,当初は従業員に安全を呼びかける,日本人の好きな標語となって使われた。安全は通常,建前であるが事故が起きると本音になる。 「安全第一」とは,安全と危険の限界を見極め,余裕をもって安全サイドで活動することを言う。今の世の中「利潤追求の谷間の死」という言葉がある。人間は本当に「安全第一」だと考えているのだろうか・・。最近の食の安全,建物の安全に関する偽装工作を見聞きすると,一部の会社経営者らの本音は「利益第一」で,残念ながら「宇安全第一」とはほど遠い。また,「安全第一」以前の問題で,利潤追求のために「何をやってもよい」というはずがない。それは,人類愛と倫理観の根本的な問題でもある。 人間はミスを犯す動物 ヒューマンファクターの定義は,次のようである。例えば,「機材あるいはシステムがその定められた目的を達成するために必要なすべての人間要因」(黒田勲氏),「一件,一件の人間的要因をいう一般用語」(全日空総合安全推進委員会)とされている。ヒューマンファクターには困難なことに直面した際,神技的な能力を発揮したり,名人芸と言われるプラスの面があるが,その裏側の負の部分にヒューマンエラーが存在する。 スタンレーコレンは,ヒューマンエラーによって起きた大事故についてつぎのように述べている。「チェルノブイリ原子力発電所の大事故,原子炉熔解寸前までいったスリーマイル島の事故,大規模な環境破壊につながったタンカーエクソンバルディーズ号の原油流出事故,そして,スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故,この四大事故に共通するものは眠りが足りない人々によるミスが原因で起こった。」 人間がいる限り100%完全な安全状態は存在しないが,人間世界が幸福なものになるために,「人間はミスを犯す動物」ということを自認したうえで,限りなく安全に近づかなければならない。 「ヒューマンエラーはどこからきたか」について,橋本邦衛氏の説を簡単にまとめると次のようになる。 ①人間の大脳は理性の脳(新しい脳)と感情の脳(古い脳)の二重構造となっていて巨大な人間システムの機能と行動を統制している。古い脳は生きるための脳で,食本能と性本脳が主体となっている。この本能をたくましく駆動するものが感情で,感情がなかったら人間はとうに滅びていたし,個性の豊かさや人情の機微もない。しかし,感情は新しい脳の理性を揺さぶりミスを誘いだす。 ②人間の能力限界を超えるためのエラーで,例えば,人間は二つのことを同時に集中でき ない。二つ以上のものに注意を分配することはできるが,注意力が弱くなってしまい,もう少 し確実に見ようとするとその瞬間に対象は1つに限定され,他のものは見えなくなってしまう。例えば試みに「事故防止」と大きな声で発音しながら,「安全」と手で書いてみると分かるだろう。 ③人間のもつ優れた長所の裏側の問題としての弱点からくるエラーがある。人間は動物の中 で,最も進化した大脳を持ち,その自主的な思考判断と意志決定によって自分の行動を律し ており,体が動く限りどんな行動でもとることができる。優れて高級な性能を発揮できるからこそ,楯の裏面でエラーを起こすと考えると分かりやすい。つまり,人間の長所(強さ)が逆に 弱点を生み,それがエラ-につながる。 「誰が」からの決別 事故が起きると,「何が起こった?」→「誰がやった?」→「処罰は?」で一件落着する,責任追求型が多いと言われている。これで事故がもし減るのなら,とうの昔に事故はなくなっていたはずである。責任論と事故防止論は別ものである。そこで事故防止のためには,「何が起こった?」→「何故,どうして?」→「これからどうすれば?」とい,対策追求型に移行しなけらばならない。 損失偶然の法則 事故があり,災害に発展して損失が生じる。事故と災害損失との間に確率則があてはまり,一つの事故の結果として生じた損失の大小,損失の種類は,偶然によって決まるという原則である。 Heinrichの法則によれば,例えば転倒という同じ事故を繰り返したとすると,無傷害が300回,軽傷が29回,重症が1回の割合で起こることになる。図1に示すように,災害の底辺の未然事故,無災害事故,無損傷事故は,偶然性の支配によって重大な災害となることを示している。このことは,「底辺の無災害事故(未然事故)も頂点の重大災害もほぼ同じ,原因で起きること」を意味する。そして,無災害事故の原因を調べれば,災害の原因とほぼ同じ原因が分かることになる。 図1 災害の底辺の無災害事故(ヒヤリハット)は,偶然性の支配によって重大な災害となる 黒幕の陰に真犯人が存在,原因の連鎖 F.E.Bird Jr.は,災害の起こった経過を,図2に示すとおり,原因の連鎖で表現した。ここで,管理欠陥は,安全管理者の管理不十分で,例えば旅客船における運航基準不適・不備である。基本原因は個人的な知識・技能不足,不適当な動機づけ,肉体的・精神的問題,機械設備の欠陥,不適正な作業体制等で,例えば船橋当直中の飲酒,過労や睡眠不足である。直接原因は,不安全行動,例えば居眠り,不安全状態,例えば,居眠り防止装置のスイッチオフ等である。事故は,例えば他船に衝突したことで,災害は例えば,その船が沈没してしまったことを意味する。 この理論は,災害に至る原因の連鎖を表現したもので,基本原因(間接原因)と直接原因の関連を明らかにしたことに価値がある。つまり,直接原因の背後に黒幕の間接原因があることを打ち出した。 図2 原因の連鎖 米国家運輸安全委員会NTSB(National Transportation Safety Board)による事故調査 前述した,原因の連鎖理論を具体的に実現するためにNTSBでは,災害の起こる過程を図3に示すとおりに想定して次の調査と解析を行っている。 ①事故に重大な関わりのあった全ての事柄を時系列に洗い出し,それらの連鎖を明らかにする。 ②この事柄が4つのM,Man(人間要因),Machine(機械設備の欠陥,故障),Media(作業 情報,方法,環境要因),Management(管理上の要因)のどれに該当するかを検討する。 ③事故を構成した諸要因のうち,最も主要なものを絞る。 ④誰が,何を,いつまで(即時または長期的に)実施するかを勧告する。 ここで,4つのMとは次に示すとおりで,間接原因を構成する要因がうまく整理されている。 (1)Man(人間要因) ①心理的要因:場面行動(他の事柄に気づかず前後の見境いもないまま行動する),忘却(ど忘れ),考えごと(家族の病気,借金等),無意識行動(例えば無意識に熱いお茶をガブリ),危険感覚のズレ,省略行為,憶測判断,ヒューマンエラー ②生理的要因:疲労,睡眠不足,アルコール,疾病,加齢 ③職場的要因:人間関係,リーダーシップ,チームワーク,コミュニケーション (2)Machine(機械要因):機械設備の設計上の欠陥,危険防護の不良,人間工学的配慮不足,標準化不足,点検整備不足 (3)Media(マンとマシンをつなぐ媒体,環境要因):作業情報不適切,作業動作の欠陥,作業方法不適切,作業空間不良,環境不良 (4)Management(管理要因):管理組織の欠陥,規定,マニュアル不備,教育・訓練不足,部下に対する監督・指導不足,適正配置不十分,健康管理不足 図3 災害の生成過程 ヒヤリハット調査 事故の原因は,人のあらゆる行動において発生する。その行動がすべて期待どおりにいくとは限らず,予期せぬ異常な事態が発生して事故になる。事故を防止する方法については経験から学ぶことが多くある。 米・英等の航空機や船舶ではインシデント・レポート(ヒヤリハット報告)による事故原因の究明とそれに基いた事故防止対策の検討が広く行われている。ヒヤリハットで終わらず損失を伴う事故になってしまった場合は,当事者が死亡してしまっていたり,生存していても個人の名誉や責任問題が関係するので,調査に困難が伴うことが多く,今までの調査から事故をもたらした背景原因まで知ることは困難なことが多い。 図3に示すように間接原因(背景原因,誘因)があり,それが直接原因(起因,きっかけ,不安全行動と不安全状態)を生み,それが異常な事態となる。多くの場合,そのような場面に遭遇したときには緊張・興奮や恐怖を伴い「ヒヤリ!ハット!(これをヒヤリハットという。)」とすることとなる。そして被害を生じた場合は災害となり,被害を生じない場合は,未然事故,インシデント,ニアアクシデント,ニアミス,ヒヤリハットとなる。これらの無損失事故をヒヤリハットと称している。 ここで注目すべきは,前に述べたとおり,「一つの事故の結果として生じた損失の大小,損失の種類は,偶然によって決まり,その原因は同じということである。ヒヤリハット調査は,図4に示すとおり,事故を未然に予防するうえで最適な手法である。 図4 ヒヤリハット調査の有用性 いろいろなヒヤリハット調査 図5に示すような3タイプに分類して考えてみる。ここで矢印(→)は,調査内容に対して行うことができる検討,そして検討から明らかになる側面と期待される措置である。 ①タイプ1は,これまでよく行われてきたヒヤリハット調査で,経験の事例を集めて紹介するという方法である。状況を実感しやすく,同様の危険に陥らないよう注意を促すのに効果的である。ただし,当事者が意識しやすい現象に片寄り,ともすると誰でもよく経験するありきたりのことの繰り返しで,マンネリ化してしまう可能性がある。 ②タイプ2は,ヒヤリ経験に状況などの背景を組み合わせた情報収集である。問題点を検討する材料があるので,具体的な改善策を講じやすく,頻発する事態や状況が分かるので,対策の重点目標がはっきりする。ただし,そのためには一件一件を詳細に検討する作業が必要となる。 ③タイプ3は,ヒヤリ経験の内容や状況など,安全対策に必要な事柄が実際にどうであったか,あらかじめ設定した質問にチェックするものである。ヒヤリ経験者にとって状況を回答する労が少なく,所定の分析法で容易に重点課題を探ることができる。ただし,具体性に乏しく,結果をそのまま示しても効果は期待できないから,解釈して具体的対策を示す必要がある。 筆者の研究グループから構成される安全航行研究会では,これまで大がかりなヒヤリハット調査を何度も行った。そして,ヒヤリハット解析システムを構築した。 図5 いろいろなヒヤリハット調査 この続きは,右欄のライフログにおける「海事一般がわかる本」,「船舶安全学概論」,「ヒヤリハット200と事故防止」に書いた。ご関心のある方はお読み頂きたい。 このブログのトップへ戻る このカテゴリのトップへ戻る
by yyama0525
| 2008-05-22 00:00
| ヒヤリハット
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